映画「イニシェリン島の精霊」はディズニープラスでしか見放題配信されていないので、観ている方は少ないかもしれませんが、私はこの映画が大好きで、とうとうDVDを購入してしまいました。美しいアイルランドの景色、演技派の俳優の素晴らしさ、脚本もよーくできている。
賞レースでは、エブエブ(エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス)に阻まれてしまい残念でした。アカデミー賞は惜しくも全滅。
受賞できたもの
- ヴェネチア国際映画祭でヴォルピ杯男優賞(コリン・ファレル)と脚本賞の2冠
- ゴールデングローブ賞で作品賞(ミュージカル/コメディ部門)、主演男優賞(コリン・ファレル)、脚本賞の最多3部門受賞
- 英国アカデミー賞(BAFTA)で英国作品賞、助演男優賞(バリー・コーガン)、助演女優賞(ケリー・コンドン)、脚本賞の主要4部門受賞
- ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞で主演男優賞、助演男優賞、脚本賞の3部門受賞
イニシェリン島の精霊の見放題配信はディズニープラスのみ
Disney+(ディズニープラス)熟年離婚と同じ構造?!コルムの絶交宣言は「ある日突然」ではない
この映画を観て真っ先に感じたのは、コルムの「友だちをやめる宣言」が、熟年離婚とまったく同じ構造をしているということだ。
言われた側(パードリック)にとっては青天の霹靂でも、言った側(コルム)にとっては、すでに何年も前から心の中で荷造りを終えていた。あの宣言は衝動ではなく、長年パードリックの「中身のない話」に耐え続け、自分の人生の残り時間を意識したときにやっと来た「静かな爆発」だったはずだ。
パードリックは「なぜ嫌いになったのか」と何度も理由を求める。コルムが「残りの人生を創作に捧げたい」と説明しても、「そんなことより昨日ロバが何をしたか」という話で返してしまう。その「理解できなさ」そのものが、コルムにとっての最大の理由になってしまう──という悲劇の構図がここにある。
パードリックが距離を詰めようとすればするほど、コルムは自分の時間と静寂が侵食されていると感じ、指を切り落とすという過激な手段でしか境界線を引けなくなる。善良であるがゆえに相手の拒絶を理解できない者と、知的な尊厳を守るために自傷してでも距離を保とうとする者。どちらが悪いわけでもないのに、決定的に合わない二人が引き起こす悲劇を、この映画はひたすら誠実に描いている。
監督マーティン・マクドナーが語ったこと
マクドナー監督はインタビューで、この映画の出発点について「恋愛であれ友情であれ、別れの悲しさを描くことだった」と語っている。
「振る側と振られる側、どちらの立場に立っても同じくらいひどい状況になる。その両側の悲しみをできるだけ誠実に扱うことが、自分が正しくやり遂げたかった核心だった」というのが監督の言葉だ。
また、劇中で最も重要な対立軸として挙げているのが「優しさは、芸術や歴史に残る成果よりも価値があるのか?」という問いだ。パードリックは「親切であること」を信条とするが、コルムは「親切さは死んだら残らないが、音楽は残る」と言い放つ。監督はどちらの言い分にも一理あると考えており、どちらかを「正解」として描いていない。この問いに答えを出さないことが、映画の誠実さの表れだろう。
ちなみに、マーティン・マクドナーは舞台劇出身で、脚本が素晴らしいです。脚本の質の高さの背景には、やはり舞台劇で徹底的に鍛えられた「セリフで語る」技術があるんだろうと思います。イニシェリンの台詞の密度と切れ味は、まさにそこから来ている気がしますね。
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Disney+(ディズニープラス)アイルランド内戦との関係──「メタファー」ではなく「背景」
映画の舞台は1923年、アイルランド内戦のさなかだ。島の向こう側で砲声が聞こえる演出もあり、時代との接続は明確だ。しかし監督自身は「この映画は内戦を直接描いた作品ではない」と繰り返している。内戦はあくまで「背景としてのメタファー」として機能させたというのが監督のスタンスだ。
「もし観客が内戦との類似を感じ取るなら、それは正しい読み方のひとつだが、感じなくても問題ない」とも語っており、政治映画としてではなく、個人のドラマとして見ることを優先している。
アイルランド内戦(1922〜1923年)の最も残酷な点は、昨日まで肩を並べて戦ってきた仲間が、英愛条約を「受け入れるか拒否するか」というわずかな差で、文字通り銃を向け合う敵になったことだ。「兄弟対兄弟(Brother against brother)」という言葉が今も語り継がれるほど、コミュニティの真ん中を真っ二つに引き裂いた。
賛成派は「まず妥協して一歩ずつ完全独立を目指すべき」という現実主義、反対派は「不完全な独立は裏切りだ」という理想主義。どちらも正論でありながら、一度「裏切り者」というレッテルを貼ってしまえば、相手の言葉はもはや届かない雑音になる。戦争自体は1年ほどで終わったが、同じ村に住み続けながら数十年もの間、一度も口をきかない家同士があったという。
パードリックとコルムの「対話が成立しない虚しさ」は、まさにこの構造の縮図だ。最初は小さなすれ違いだったものが、意地と信念でエスカレートし、引き返せなくなる。そのばかばかしさと悲劇性が、個人のドラマに凝縮されている。
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Disney+(ディズニープラス)舞台となった島について──「イニシェリン」は架空の地名
「イニシェリン島」という名前の島は実在しない。物語のために作られた架空の島だ。
「イニシェリン(Inisherin)」という名前はアイルランド語で「島」を意味する「Inis」と、アイルランドの古称「エリン(Erin)」を組み合わせたものと考えられる。監督があえて架空の島を設定したのは、物語に寓話的な雰囲気を持たせるためだったようだ。特定の場所の話ではなく、どこにでも起こりうる人間の話として。
実際の撮影は、アイルランド西海岸のアラン諸島最大の島・イニシュモア島と、さらに北に位置するアキル島で行われた。断崖絶壁と石垣が続くアイルランドの原風景が、この物語の閉塞感と孤独をそのまま体現している。
「聖なる鹿殺し」のコリン・ファレルとバリー・コーガンも見るべし
コリン・ファレルとバリー・コーガンは、2017年公開、ヨルゴス・ランティモス監督の『聖なる鹿殺し』で共演しているので観て欲しい。
まずコリン・ファレルの振れ幅が面白い。『聖なる鹿殺し』では無表情で感情を押し殺した外科医、イニシェリンでは善良だけど少し鈍い男、と全然違う役なのに、どちらも脚本の「言葉の異様さ」を体で受け止めるタイプの演技をしていて、比べると発見があります。
バリー・コーガンについては、『聖なる鹿殺し』での不気味な少年役が彼のブレイクのきっかけで、イニシェリンの純朴な青年ドミニクとは真逆なんですが、どちらも「普通じゃない空気を纏う」という点では共通していて、彼の特異な存在感がよくわかります。
それと脚本の「セリフが武器になる」という感覚が両作品に共通していて、ランティモスとマクドナーは全然作風が違うのに、言葉が不条理な暴力性を持つという点でどこか似ているんですよね。
2本続けて見ると、コリン・ファレルが「言葉の暴力に晒される男」をどう演じるかという視点で楽しめると思います。
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